ディスコとディスコミュージック

 1994年4月に社会人となり住宅の営業部に配属され、子会社の課長から営業力のつけ方を教えてやるということになった。正に、ディスコデビューとなった。

 

ジュリアーナ東京

 

 1994年に閉店となることで、金曜日の仕事帰りに連れて行かれたのを覚えている。行列がかなりできていて、入れたとしても時間がないということで並んでいる女性に次々とナンパをしていった。とても勇気がいったが少しだけ自信がついた。二人組の女性が応じてくれて食事となったが、私が当時勤務していたところから近くのビルの銀行に勤務していることが分かった。

 強制的に出会いを創っても、全く関係ないものには出くわさないものだ。当時の私の年齢の人口は全国で200万人くらいはいたので、今の1.7倍くらいの人口である。バブル景気は既に終わっていたが勢いは少なからず残っていた。

 

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出典:Touch the heartstrings

 

現在のジュリアーナ東京跡地

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出典:田町新聞

 折口雅博という名経営者が日商岩井時代に運営していた。後に、ヴェルファーレというディスコやグッドウィルグループの経営者となる。グッドウィルグループは最盛期で7700億円の売上を誇り、折口さん自身も経団連の理事に就任した。しかし、コムスンの不正請求が原因で解体され、今はない。

 その後は渡米し、MEGUチェアマンとして「6つ星(Six Star Diamond Award)」を獲得するまでに経営手腕を発揮している。能力のある人は、這いあがってくるということだ。

newyork.keizai.biz

 

日比谷ラジオシティ

 

 落ち着いた感じで社会人の出会いの場でした。1995年の間よく後輩といっしょに仕事帰りに通っていた。こんな私でも、付き合う機会に恵まれた。異性との出会いのためだけに行く割には、大手企業に勤務されている女性ばかりで楽しかった。人口が減少し、高齢化が進むと相対的に元気がなくなってくる。これは、経済的にも良いことは何もない。別にディスコに行けと言っているわけではなく、新しい出会いを創るはビジネスにも有効な考え方だと思う。いつも同じ人間と付き合っていても何も広がらない。

 一歩前に出る勇気が新しい展開につながる。

 

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日比谷ラジオシティは、現在はクラブディアナになって今も盛況のようである。

club diana | 銀座の都内最大級クラブ|貸切パーティ・二次会・イベント

 

当時ディスコで流れていたディスコミュージックは、現在でも十分気分を高揚させてくれるので聴いてみるのもいい。特に好きだったのは、アバ「ダンシングクイーン」カーディガンズ「カーニバル」ホール&オーツ「プライベートアイズ」。

 

  

  捨て曲なし