小説「暗転」~帝王が愛した女~ 2

《序章》 

胎動

 

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                                勝又洋 作

 悟は、仕事を探さなければならなかった。ほとんど日本語は使えなかった。佐世保にある大手造船会社の九州重工業(株)で募集しているのを知った。なんとか潜りこんで生活しなければならない。当時は国籍とか問題にされることはなかったので、岩城悟で応募し面接となった。面接官は五味田哲也という大柄な男だった。柔道で鍛えられた体は、まるで熊のようだった。「年齢は15歳で間違いありませんね?家族はいますか。何ができますか。」矢継ぎ早に質問がきた。「岩城悟、15歳、1930年3月3日生まれ、A型です。家族は戦争で全員死にました。列車の機関整備工を2年やってました。汚れること、大変なこと、深夜作業でもなんでもやりますのでどうか雇ってください。」悟は必至で訴えた。「お前日本人じゃないだろ?どこにいたんだ。」「朝鮮にいました。日本に帰りたくてなんとかここまで辿りつきました。」五味田は驚いて聞き直した。「日本に帰りたくてとはどういう意味なんだ?」「もともと両親は日本人でしたが、1910年の日韓併合の時に軍人としてやってきて、そのまま居ついてしまいました。そして私は生まれ朝鮮で育ちました。だから日本語がうまく話せません。でも日本の話は両親から聞いていて、とてもいい国だと言ってました。だから日本に来ました。朝鮮にはもう肉親はだれもいません。」

 五味田はこの男を哀れに思った。両親が朝鮮に渡らなければ、日本で生まれ普通の日本人として生活できたろうに。たまたま生まれ育った国が朝鮮というだけだった。歴史に翻弄されただけなんだと。「戦争が終わって米国の管理下に日本は置かれていることは知ってるよね?今、少し前まで敵で戦っていた米国の戦艦の修理点検を九州重工の佐世保ドックで行うことになったんだ。それで人を募集している。列車の機関が分かるなら少し勉強すれば戦艦のエンジンとか内燃機関の部分は早く理解できると思う。よし、採用することにしよう。寮もあるし三食飯つきだ。但し、寮に入る前に健康診断は受けてもらうよ。」悟は嬉しかった。「ありがとうございます。精一杯働きますのでよろしくお願いします。」「今、健康診断の依頼書書くから待っててくれ。工場の中にある診療所でやるからすぐそこだ。」悟は内心ほっとしていた。これでなんとか食べていけるとそう思った。その時、急にめまいがしてその場に倒れてしまった。目が覚めてあたりを見回すと病院の中だった。五味田もそこにいた。「健康診断する前に病院に直行した奴は見たことないぞ。マラリアに罹っているみたいだ。あとは異常なしだそうだ。身長と体重は分かったし、血液検査もやったからいいだろ。インドネシアかフィリピンにでもいたのか?」「いや、朝鮮にしかいたことはない。それよりも側にいてうつらないのか?」「ああ、大丈夫だよ。マラリアは人から人へは感染しないから。」「特効薬もないようだから、しばらくの間ここで隔離され入院しなければならないけど会社としては雇うことに決めたから安心して治療してくれ。治療代も会社で持つから。その代わり復帰したらがんがん働いてもらうよ。」「ありがとうございます。恩に着ます。五味田さん、あんた本当にいい人だ。」熱で倦怠感がある中で、悟はあることを思い出していた。船の上で米国兵から検査を受けた後、蚊のようなものがいて、一郎といっしょに叩いて潰していたことを。米国兵がフィリピンから合流したと言っていたことも思い出していた。きっとあの時の蚊のようなものが原因でマラリアに罹ったのだろう。とにかく、今は早く治して働かなければいけないと焦る気持ちが強かった。薬が効いているのかそんな悟の焦る気持ちもどこかに消えてまた深い眠りについた。一週間安静ののち退院し、五味田に会いに行った。「無事に退院しました。働かせてもらえますでしょうか。」「大丈夫。寮も用意してある。二人で使ってもらうけど、君のことは言ってある。きっと相方とウマが合うよ。心配しないでくれ。これから佐世保へ連れて行く。相方も紹介するから仕事が終わったら一緒に帰ってくれ。」「面倒おかけして申し訳ないです。」

 佐世保ドックは想像していたより巨大でなぜか不気味に感じた。所長との挨拶を済ませ相方も紹介された。長崎県の出身だといっていた。徴兵されフィリピンでも戦ったと言っていた。その時に、マラリアに罹患し生死をさまよう経験をしたそうだ。フィリピンの方が日本より亜熱帯で、ただでさえ熱でうなされているのに周りの暑さで症状が悪化したとも言っていた。「岩城と申します。日本語まだ良く話せませんがよろしくお願いします。」「大越です。こちらこそよろしく。仕事が終わったらお祝いに、寮で乾杯しよう。」こうして、悟は無事に仕事に就け新しい人生が始まった。

 大越も同じ内燃機関の仕事だった。「アメリカ人見ただろ?」お昼休みに食堂で唐突に言われた。「戦艦周辺でうろうろしてるのっぽの白人だろ。」「みんな背の高い奴らばかりだよ。あんな奴らと戦っていたんだ。日本人の平均身長が163センチくらいなのにあいつらは180センチはあるぜ。もともと勝てる戦いじゃなかったとあいつらを見ていて思ったよ。」大越の言う通りだと思った。

 働き始めて1か月が過ぎるころ、それは1945年10月であったが悟も大越もお互い打ち解け合い色んなことを話し始めた。家族のことやこれからのことも。「大越には家族はいないのか。」「ああ、長崎の出だって前に言っただろ。原爆で父ちゃんも母ちゃんも全員死んじまった。もう俺だけさ。天涯孤独っていう奴さ。」悟は悪いことを聞いてしまったと後悔した。「すまない。悲しいこと聞いちゃって。そんなこと全然知らなかったから。本当にごめん。実は俺にはもしかしたら家族が朝鮮で生きているかもしれないんだ。戦争があまりにも過酷になってきていて、このままだとだれも生き残れないと思って内緒で家を飛び出してきた。残っても死、出ても死なら打って出るのもいいかなって思ってさ。でも、何度も死にかけたよ。マラリアにも罹ったし。」「確かそうだったな。異国の地で暮らすのに怖くなかったか。俺は、やっぱり長崎がいい。生まれ故郷だし。放射能の影響で今は帰れないけど、いつか必ず帰るつもりだ。悟は朝鮮には戻らないのか。」「分かんない。ただ今はせっかくありつけた仕事だし精一杯やるだけさ。寝るとこもあるし、食事もあるからこれだけで十分幸せだよ。」「俺もそう思う。ただ一つだけやるせないことがある。アメリカに戦争で敗れて、そのアメリカの戦艦の点検修理を日本人がやるっていうことがどうしても許せない。」「もう戦争は終わったし、いつまでも恨み節でいても仕方がないんじゃないかな。現にその仕事のおかげてこうしていられるんだから。明日も早いからもう寝よう。」月の光がまぶしくてなかなか二人は寝付けなかった。

 終戦後、はじめてのクリスマスがやってきた。大越も悟も幾ばくかのお金を持って繁華街に行ってみた。「そういえば、仕事するか寝ているかの生活だったからなあお互いに。」大越は少し声がはずんでいた。お金もなかったから、積極的に夜勤もやったし稼いだ金はなるべく使わないようにしていた。悟もすこし余裕が出てきて、たばこが吸いたいと思っていた。「どこか店にでも入ろう。お腹もすいたし、うまいもん食べよう。」大越が言うと悟は黙って頷いた。賑やかな中華料理屋に入ることにした。「餃子とお酒二人分。」威勢よく大越は注文した。出てくるのが待ち遠しかった。そんな中、待っていると一人の男が近づいてきて、なにやら金が必要だからたばこを買わないかと話しを持ち掛けてきた。悟が真っ先に反応した。「俺買うよ。いくらだい。」「高級品だぜ。ピース10本入り。7円でどうだ。」「少し高くねえか。5円なら買ってもいいぞ。」「じゃ、6円でどうだ。これ以上負けれなぇぞ。」「分かった。それで交換だ。」金と引き換えに男は街に消えていった。大越も興味深くたばこを見ていた。「そのたばこ、本当にたばこなのかな。吸ってみろよ。」「箱には大蔵省専売局と印刷されてるぞ。こんなの見たこともねえなあ。」ちょうどその時、餃子とお酒も出てきた。「取り敢えず腹ごしらえっと」大越は箸を取って餃子を食べ始めた。「アッつい。でもうまい。お酒もいい。悟もはやく食べろよ。」「そうだな。朝鮮では餃子食べたことないから大丈夫かな。」「ぐずぐず言わずに食べろ。酒もうめえぞ。」悟は恐る恐る食べてみた。「あちい。でもなんかうまいなあ。酒に合うよな。くたくただったから、俺すぐ酔っちゃうかもしれない。」「そん時は、おれが寮まで担いでいってやるよ。」そして、悟はたばこを吸ってみた。「久しぶりだからむせるよ。でもなんか強いけどうまいよ。なんか生きてるっていう感じ。大越もよかったらどうだ?」「いいのか、吸っても。」「1本だけならいいよ。どうせ寮に持ち帰ったらみんなに取られちまうから全部吸うつもりだし。」「じゃ遠慮なく頂きます。マッチの匂いがなんかいいよな。このたばこうまいよ。」「だろ?最初は見たことないから変なものだったら嫌だなあと思ったよ。」「餃子と酒とたばこ。俺たち相当贅沢したな。」大越が眠そうな目で悟を見ながら言った。「たばこ久しぶりに吸いすぎたかな。なんか頭がくらくらする。そろそろ帰ろうか。」そう言うと悟と大越は精算して寮に帰った。

 年が明け1月になるとますます仕事が忙しくなった。すると、ドックで働いている工員の間で、新製品のたばこが出るということで話題が持ちきりだった。悟がどんなたばこなのか聞いてみると、それはクリスマスの時に買って吸ったたばこ「ピース10本入り」だった。大越にその話をすると、「あれは盗品か何かだったのだろう。価格も7円と売り出し価格と同じだし。政府関係者だったのかもしれない。」当時の日本は戦後まもなくで規則や秩序など無いに等しかった時代だ。

 1946年3月、お別れは突然やってきた。悟と大越にとっては大変恩義のある五味田が会社を退職するという。退職理由は、教員になって子供たちに柔道を教えたいからだそうだ。二人は五味田に会いに行き今までのお礼の挨拶をした。五味田は寂しそうな表情でこう言った。「いつまでも戦後じゃないよ。そんな負け犬根性じゃ、これからの日本やっていけないと思うんだ。だから俺は、生きるために食うという考えから、もっと自分にお国のためにできることがあるという考え方に変わったんだ。教育を通して子供たちが一人ででも生きていける強さを教えたい。二人ともこの仕事が好きならいいけど、他にやりたいことがあるなら思い切ってやったらいい。どうせ焼け野原からのスタートなんだ。失うものなんかなんもないだろ?」悟は、この平凡な生活にいつしか慣れてしまって大事なことを忘れかけていた。なんのために日本へやって来たのかと。丁重に二人はお別れをした。

 4月になるとまた新しい人が入社してきた。寮にも元気な人たちが入ってきた。しかし、そこで問題が起こった。寮でお金が盗まれたと言ってきた新人がいた。もちろん誰もが自分はとっていないと言った。そこで、誰かがこう言った「悟は朝鮮人だからあいつじゃないのか戦争末期に平気で日本を裏切った連中だ。そうだあいつしかいないよ。」そんな噂が寮中に広まり、悟は皆からいじめにあった。そしてとうとう会社を辞めざるを得なくなり寮を出ることになった。「助けてやれなくてごめん。少しだけど10円取っておいてくれ。餞別だ。」「別に大越が悪いわけじゃない。悔しいけど仕方がない。俺は朝鮮人だから。」「そんなことない。お前は立派な日本人だよ。俺の友達だよ。」「いい機会だと思ってる。五味田さんも何かほかにやりたいことがあるならやってみろと言ってたし。俺はそもそも日本で稼いで有名になって家族を呼びたいと思っていた。このままだと生活はできるが自分が自分でなくなる。じゃあな。」「これからどうする?行くあてはあるのか。」「ないけど貯めた金もあるし何とかするよ。頑張れよ。大越さん。ありがとう。」静かな別れだった。

 寝るとこも泊まるとこもないがねアメリカ兵相手にポーカーで稼いでしのぐことにした。悟は、ギャンブルが強かった。目を付けられないよう場所はいつも変えた。掛け金は米ドルでやった。その方が価値が高かったからだ。そんな中で、負けたアメリカ兵で現金が少し足りない奴が悟にこう言った。「もうすぐマッカーサーは日本から手を引く。そしたら、日本は自分でやっていかなくちゃならなくなる。俺たちが日本にいるのもそう長くはない。貴重な情報だろ。これで残りはちゃらだ。いいだろ。」「じゃ教えてくれ。お前らがいなくなったあと、日本はどうなっていく。」「それは俺でも分からない。でも政府が復興のために色んな政策を打ち出して行くだろうから、首都東京に取り敢えずいくのがいいかな。はじまりは首都からだよ。」「分かった。残りはチャラだ。」

 悟は、東京に行く決心をした。1946年も、もうすっかり秋だった。