小説「暗転」~帝王が愛した女~ 9

《第二章 時代の流れ》

 

凶夢(きょうむ)

 

 

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 1986年になると金融機関の融資攻勢が一段と鮮明になってきた。特にタクシー会社は土地を持っているので担保に取りやすかった。はじめのところにもかつてのメインバンク東部信用金庫の支店長が何度も融資のお願いに来た。その都度追い返していたが、根負けして10億円を借入することにした。商工銀行の多賀支店長からは、必要のないお金は借りないほうがいいとアドバイスを受けたが、ここ数年でさらに物価が上昇すると見ていたので父親の手法を真似て1990年までには10億円全額無事に返済できると考えていた。特にすぐに使うあてはなかったのでそのままプールした。

 本社総務部も当初は各営業所の所長が対応していた。しかし、笹岡洋子が入社したことで機能し始めていた。協会に報告するタクシーの走行距離や稼働状況、燃料の使用状況などを期日まで適切に報告した。就業規則や賃金規定の策定にも着手した。本来具備していなければならないものがフェニックスタクシーにはなかったのだ。はじめも洋子が入社してから毎日総務部へは顔を出しては世間話をしていた。その時に、洋子は社長に現在のフェニックスの状況と対応について打ち合わせをした。はじめは洋子に総務関係は一任していた。周りからは、きれいだから特別扱いしているとかまだ素人なんだから任せすぎなのではという意見も多くあった。しかし、洋子ははじめが紹介した社会保険労務士や税理士をうまく使いこなしていた。何をするにしても専門家に確認してから進めていた。そんな折、練馬営業所に労働基準監督署が監査に入った。早速、洋子と社労士の久保田先生とで対応にあたった。2週間に渡る監査であったがかなりの指摘事項があった。それは、就業規則、賃金規定がないこと、残業代、深夜手当の割増率が不適切であること、労働者名簿がないことが挙げられていた。是正勧告に対する回答期限は2か月後であった。

 洋子は、まず就業規則と賃金規定を完成させることを優先させた。業務停止にさせられてはいけないと危惧したからだ。各所長からヒアリングを済ませ、現状にあったもので就業規則をつくり法令に即して修正をした。今まで不明瞭であった有給休暇の取得も明記された。ここで洋子ははじめから聞いていた優秀な乗務員がなかなか集まらないという話を聞いていたので、有給休暇の付与日を入社日にするという業界初の試みをすることにした。法的には入社後6か月後に10日付与すればいいものを、入社当日に付与することで万が一体調不良を起こして働けない日があっても有給でカバーできるようにした。心理的負担を少しでも軽減することで中途入社を促す狙いがあった。働かない乗務員ばかり集まるのではという反対意見もあったがそれは面接時にフィルターにかければいいと考えた。社労士の久保田も斬新なアイディアに驚いていた。法令より労働者有利なので問題はないということであった。労働組合もすばやく了承した。

 賃金規定については、元来経理部で給与計算をやっていたことから協力を仰ごうと考えていたが洋子の方でやってほしいと言われた。給与計算をやる人がいないから暫定的に経理でやっていただけなので計算方法も実はよく分からないという回答だった。洋子は、自分でやり切るしかないと覚悟した。社労士の久保田に過去1年間の給与計算の根拠資料と支給額の資料を全部調査してもらい問題点の洗い出しを始めた。時間はかかったが予想外の結果が出た。最低賃金割れを起こさないような仕組みが残業代と深夜手当の割増率をおかしくしていたのだ。タクシーの乗務員の給与は出来高制なので歩率をどう組むかで支給額しいては会社の業績に大きく影響した。洋子は計算が得意であったので苦にならなかった。久保田と相談の上、賃金規定が完成した。労働組合の賛同が得られないと発効できない。最初の交渉は不発に終わった。受け入れられないという返事だった。損益分岐点を考慮したうえで、歩率を入念に作り上げたのは洋子であった。営収のいい乗務員の給与は引き上げられ、低い乗務員のは極端に引き下げられた。3回ほど交渉の末、妥結した。当初案より労働組合側に譲歩した。少しだけ営収の低い人の歩率を上げてやったのだ。

 次は残業代と深夜手当の3か月分の修正をして乗務員への支払を済ませるという難問が待っていた。練馬営業所には乗務員が300人もいたからだ。洋子は一人でそれをやってのけた。連日練馬営業所に出掛けては夜遅くまで残業した。練馬営業所の職員、乗務員みんなが見ていた。10日くらいしてようやくまとまり、不足分が支給できるところまでこぎ着けた。あとは労働者名簿の作成だけだった。履歴書に基づいて300人分の労働者名簿を作成した。作成途上で洋子はあることを思いついた。労働者名簿の中に、免許の更新日と事故履歴も記載した方がより一層情報としては役に立つと思ったのだ。これには所長と社長の承認と協力を得なければできないことだった。意外にも所長が協力的であった。免許の更新日の確認を乗務員さんの免許証のコピーを取り洋子に渡した。そして事故履歴に関しては、これから発生した分については労働者名簿に営業所職員が書き込んでいくことにした。

 このような作業を経て、社労士の久保田に報告し確認をお願いした。久保田は社長のはじめにこう言った。「よく一人でここまで対応しましたね。相当苦労されたと思いますよ。男でもここまでやり遂げられるものはいないから。ましてや所長や労働組合という海千山千の男たちを相手によくやりましたよ。彼女のおかげで労基署には期日までに100%の回答ができます。これなら彼らも文句は言わないでしょう。」「そうでしたか。実はかなり心配してました。周りがみんな知らんぷりしていたから。彼女に面倒なことを全て押し付けて。夜も遅くまで残業していたと聞いています。」「終盤は営業所の方たちと笑顔で話してたようですからいい人間関係が構築できたと思いますよ。それに、これをきっかけに全営業所の整備をしなければいけないと言ってましたから相当やる気になっているようです。いい人を採用されましたね。」はじめは、とても嬉しい反面ひたむきな洋子の姿勢にいつしか心を動かされていた。

 労基署の件が片付いて、はじめは久しぶりに家でゆっくりと夕食を楽しんだ。妻の啓子ははじめにこう言った。「あなた最近、洋子さんの話ばかり。よっぽど気に入ったのね。」「いや、かなりがんばっている子なんだよ。そのうえ、俺の前の実家を買い取ってくれた方のお嬢さんでもあったんだ。なんかそんな遠くにいる子には感じなくて。最近も労基署対応を一人でやってくれた。」「そうでしたか。てっきり好きなんじゃないかと心配してました。あと報告したいことがあります。」「まさか離婚したいなんて言わないよね。」「離婚して欲しいのかしら。子供ができました。」「そういう話は最初にすべきだろう。」「あなたが楽しそうに洋子さんの話ばかりなさるから言い出せなかったのよ。」「男の子だといいなあ。跡継ぎになるからなあ。」「まだ男の子か女の子かは分かりませんよ。」それでも啓子には不安があった。女性にそれほど興味もなく話題にも出たことがないのに、洋子さんのことだけはいつも嬉しそうに話すはじめの姿に。

 関東無線協同組合を脱退してから時は経っていた。次第にはじめの経営手腕に高い評価が出始めていた。独自の無線室、不動産事業、ワイン事業とタクシー業界でははじめてのことばかりだったからだ。経営に行き詰まり倒産するとまで陰口を叩かれたが、不動産事業とワイン事業は数字に成果が出ていた。無線室は利益を考慮すると経費過大であった。そこで、はじめは長距離割引を考案した。業界にはまだない制度だった。この料金改定を陸運支局に認可を取る手続きも洋子が行った。最大二割引きになるということでお客様からは歓迎された。しかし、業界内部では採算が合うのか疑問視するのも少なからずいた。また、洋子が策定した新しい賃金規定の効果が発現し、稼ぎのいい乗務員が口コミで応募してくるようになった。高校出の新卒組みも多数応募してくるようになった。各社乗務員集めに苦悩するなかフェニックスタクシーは何もしなくても集まる体制ができていた。独自路線を突き進むはじめの姿に業界関係者は驚愕した。