小説「暗転」~帝王が愛した女~ 11

《第二章 時代の流れ》

 

座標(ざひょう)

  

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 仁川広域市から戻った二人はどこかぎこちなかった。あまりにも近すぎたのだ。しかし、洋子から聞かされた親父の思いが業界で孤軍奮闘している自分に愚かさを感じさせた。そして人の言葉に惑わされることなく信念を貫き通そうと決意した。タクシーという仕事に誇りを持ちそこに携わる人たちの社会的地位の向上のため全力で経営しようと考えた。

 帰国後、はじめは洋子を社長室に呼び今回の仁川広域市行きで感じたことを話し合った。洋子ははじめに確認するように言った。「ビジネスという点で感じたことですよね?」「もちろんそうだ。海がきれいだったとか金の串刺しが良かったなんてことはどうでもいいことだ。」「空港利用者が想像以上に多かったことですかね。成田だけではなく羽田も利用者は増えているようです。社長も以前大田区がタクシー会社の新たな主戦場になるとおっしゃってました。」「確かに、平日だし長期休暇や卒業のシーズンでもないのに予想以上に混んでたな。」「私たちは自分たちがタクシー会社だからタクシー料金を気にしないで行きましたけれども、一般のお客様だったら結構高くつくと思います。ですからタクシーを輸送手段として選択肢の中には入れないと思います。よほどのお金持ちか会社役員でもなければ。」「でも海外出張であれ海外旅行であれ、荷物は多くなるし、それを抱えながら電車で移動するよりはタクシーで荷物や周りの人の煩わしさを感じずに快適に空港まで行けたらそれはいいことだよね。」「はい、社長とても素晴らしいことだとは思いますが、如何せん料金が高く付きます。その辺をどうクリアするかだけだと思います。」「定額制にしてみてはどうだろうか。利用者も高いから敬遠していたところもあるし、分かりやすい定額料金制にすれば新たな顧客層の掘り出しになるかもしれない。新宿から成田空港まで約80キロ。燃料代で片道2000円とすれば往復4000円。高速代金は別途ということで24000円なら採算合うんじゃないか。帰りに客を拾えなかったとしても。乗務員の最大拘束時間を4時間としても大丈夫だと思うが君だったらどう考える?」「その料金が消費者に受け入れてもらえるのであれば十分採算は取れると思います。あとは料金メーターのアップデートに一台あたり15000円は掛かると思いますし、その他タクコンのシステムも変更しなければなりません。日報に新しく空港定額の欄を設けなくてはならないからです。大体30万円は見ておいた方がいいです。乗務員さんにも操作方法も教育しなければならないし、時間も必要です。」「じゃやろう。決定だ。成田、羽田空港間の定額料金制を業界に先駆けてやることにしよう。陸運支局の申請、詳細な料金プラン、料金メーターのアップデート費用の見積もり、タクコンのシステム費用見積もりは君に任せるよ。このプロジェクトのリーダーに任命する。各所長には私から通達しておくから遠慮なく進めてくれ。」「分かりました。少し荷が重いです。でも頑張ります。」フェニックスタクシーは東京都23区と三多摩地区のタクシー会社故にエリアを4エリアに分けて定額プランを作成した。成田用と羽田用の二種類設定した。その他の見積もりも順調にできてきており、概ね採算が合う金額であった。しかし、肝心な陸運支局の申請に手間取ってしまった。はじめてのことなので、職員がどう判断していいか分からなかったのだ。これには洋子ばかりに任せていてはいけないと思いはじめも社長として同行して陸運支局の職員に説明した。三度足を運び2週間後受理された。1988年3月から定額料金制がスタートすることになった。タクシー会社は3月、4月が書き入れ時なのだ。これを見込んで洋子は用意周到に準備を進めてきた。

 1987年12月10日業界新聞紙が第一面でこの料金プランを記事にした。追随するかのように一般紙の朝刊にも記事が載った。「フェニックスタクシー岩城はじめ社長、新料金プランで新たな顧客を開拓。JRに真っ向から勝負を挑む」という書き出しだった。業界関係者は、料金が高いからお客さんはタクシーより従前どおり鉄道を利用すると考えられていた。相変わらず陰口ばかり叩かれていたが、はじめはやってみてダメなら撤退すればいいと考えていた。この年は国鉄が民営化された年でもあり不思議な巡りあわせだった。

 1988年2月になるとメーターやタクコンの準備も終え料金表も新しいのが台数分用意され3月1日になるのを待つだけだった。無線室から予約状況についてはじめに逐一報告がきていた。2月末時点で成田、羽田合わせて300件の予約が入った。まずまずのスタートだと思った。洋子は万が一に備えて、乗務員さんがメーターの操作ミスをして定額料金にしていなかった場合の修正の仕方をメーター機器会社から聞いていたので、修正方法をマニュアル化して各営業所に配布するとともに無線室にも配り乗務員から問い合わせがあった場合の対応の仕方を教育した。

 3月になるといよいよスタートとなった。予約キャンセルはなくむしろリピーターが出てきていた。はじめは、この状況を業界新聞に伝え記事にしてもらった。大手四社のプリンス大日本帝国自動車の海鍋社長がはじめとの会合のアポを総務の洋子に入れた。はじめは快諾し後日、帝国ホテルにある本社に直接海鍋社長に会いに出向いた。会いに来るというのにも関わらず自ら出向いたのだ。「岩城社長、わざわざお越しいただかなくても私の方から出向きましたのに。」「業界トップの社長にお越しいただかなくとも私が出向いてお伺いすればいいことですから。」「本題に入りましょう。私どもも定額料金制を導入することに致しました。大手四社はほぼ同時期に定額制をスタートさせます。なかなかいいプランですね。最初は利用者がいないんじゃないかと思ってましたが、新聞で公表された利用状況を見ても今後ますます増加すると考えました。条件は、フェニックスタクシーさんに合わせたものです。一応礼儀と思いまして事前にお伝えした次第です。これから陸運支局に何か新しいことを申請される際は一声かけてもらえると助かります。」「何分にも思い付きで経営しているものですから、大手さんにお声がけするようなことなんか何もありません。それでは用件は理解しましたので、これからも業界活性化のために知恵を絞りましょう。それではまた。」はじめはそそくさと大日本帝国自動車本社をあとにした。海鍋は大手四社で業界をまとめ上げ秩序を維持してきたと自負しているため、岩城のような中小企業の社長に業界が振り回されるのが嫌でたまらなかった。はじめのアイディアは、業界では斬新でしかも結果が伴っているのでカリスマ経営者と持てはやすものもいた。タクシー業界の未来を切り開く経営の神様とかタクシー業界の帝王とまで言われ始めていた。ただの二代目ではなかったからだ。元々既定路線に安住するような男ではなかった。そして、今回の定額制で親しくなったシステム会社と更なる合理化とデータの活用について打ち合わせをするようになった。この打ち合わせには、洋子も同席した。第一に手書きの日報を自動化できないか提案した。乗務員が日報書くために一時停車しているのが時間の無駄だと思っていたからだ。その上、そのために事故が起きているのも事実だった。メーターから情報すなわち、走行距離、位置、料金、時間の全てを取り出して日報の情報としてデータベース化し日報は自動で作成される。そういうシステムをつくれないかとはじめはシステム会社に要請した。まだ業界では手書きがスタンダードであった。はじめはシンプルな発想であった。機械にできるものは機械にやらせて人間にしかできないことを人間がやればいいという考えであった。タクシーの乗務員は、お客様を安全に輸送し快適な時間を感じてもらうのが一番と考えていたのだ。周りが持ち上げるほど浮かれた経営者ではなく、堅実な経営者であった。

 1988年にはもう一つの目玉があった。自動日報がシステム的に運用可能という判断になり実用化の目途がたった。しかし、運輸省が認可に難色を示していた。大手四社が官僚に政治家を通じて圧力をかけていたのだ。勝手に次から次へと業界のしくみを変更されるのに海鍋が報復に出たのだ。これにははじめは業界の闇を感じた。しかし、親父の意志を物心両面から引き継いだはじめには、負ける気はしなかった。業界新聞というマスコミを利用することにした。「フェニックスタクシーが考案した自動日報は乗務員の業務量を減らし、お客様のニーズに応えることで乗務員の待遇改善、業界活性化に寄与するものであることをお約束いたします。」このような内容の記事を掲載することで官僚と大手四社の包囲網を突破し導入する予定でいた。風向きが変わり始めていた。1987年から解決の糸口が見つからず難航していた日米貿易摩擦について、米国からの輸入を強化することで牽制しようする政府主導の思惑も働いていた。米国のスーパーコンピューターを導入することなど輸入品目が具体的になってきていた。その流れで社会全体のシステム化推進を政府主導で進めようと考えていたからだ。この流れに運よく乗れたので時間はかかったが運輸省は認可せざるを得なくなった。1988年のはじめにとってのクリスマスプレゼントになった。フェニックスタクシーの名声はますます轟いた。業界の革新者としての地位を確実なものにしていった。はじめを実務面で陰で支えたのは他ならぬ洋子であった。はじめにとって洋子はいつしか心の支えになっていた。

 1988年の業界新聞での東京都知事との対談で次のように語っている。「ビジネスマンであれば、タクシーの中は密室なうえに乗務員には守秘義務もあるので仕事も車内でできるし、移動時間の有効活用で本来業務に力を入れてもらい国家のために働いてもらう。また一般の人であれば、移動そのものを楽しんでもらったり病院へいくための輸送手段としてもかなり役に立っている。そうしたことを通じて国家に貢献し、乗務員の地位向上と待遇改善に邁進していきたいと思っております。今後ともフェニックスタクシーのみならずタクシー業界の活躍に期待してください。」