小説「暗転」~帝王が愛した女~ 19

《第三章 瓦解》

 

寂滅(じゃくめつ)

 

 

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 1997年から1998年にかけて金融機関の破綻が相次いだ。バブルの清算が本格的に始まったのだ。金融ビッグバンも同時に起き護送船団方式が事実上崩壊した。タクシー業界には逆風が吹いていたが、現金商売であるがために売上減少によるダメージを感じにくくしていた。2000年問題やITバブルの芽がこの時から生まれていた。

 はじめは、福祉タクシーと修理工場の業務拡大を急いでいた。福祉タクシーチケットの取り扱いと各区に対する請求業務が完璧にできていなかったにも拘わらずだ。洋子もはじめての業務なので戸惑った。顧問税理士の赤池に相談しても自分で考えろという返事だった。まず営業所の事務員に集計してもらい、PCに入力してからチケット現物を本社に送付してもらうように仕組みを作った。入力内容と現物の確認が終わったら月末で締めて各区に請求をかけるのが一番合理的だと考えた。福祉タクシーは観光バスの事故で傷ついたフェニックスタクシーの信用を十分回復させた。利用者増加のために各区ともPRに余念がなかった。タクシー車体にも福祉タクシーの宣伝を貼り付けた。認知度を上げる必要があるからだ。はじめは営業活動に励んだ。しかし、病気の後遺症とも言うべき猜疑心と精神的な不安定さからは完治していなかった。

 福祉タクシーは病院への送り向かいがほとんどなので、距離的に短距離が多く売上と利益に貢献はしなかった。イメージアップには貢献しても低迷するフェニックスタクシーの起爆剤にはならなかった。修理工場はなんとか採算ラインを超える見通しが立ってきた。近隣の中小タクシー会社からの注文が増えたからだ。

 金融機関とりわけ東部信金から貸付金の一部返済を求められていた。商工銀行からは東部信金に返済するのならプロラタで当行にも返済してほしいと要請があった。はじめは、しばらく考えさせてくれと回答した。返済を実行するのには、どこか営業所を売却するしかなかった。売上減少がピーク時の売上高の3割減というのが、金融機関に印象が悪かった。なんとかしなければいけないと焦りだけが先走った。

 はじめは、赤木を連れて銀座のクラブ「deep sea」に出掛けてみた。相変わらずボクシング事業の売上が立たないことに苛立ちを感じ始めていた。「ママ、水割り二つ。」「ご無沙汰してますね、社長。復活なんていう記事見ましたよ。景気はどうですか。」「いいわけないだろ。だから、ここに来たんだよ。」「お酒いいんですか。お体に障るんじゃないですか。」「少しくらいなら問題ない。前からだってそんなに飲まなかっただろ。」赤木は悪そうにこう言った。「社長、すいません。ボクシング関係でお役に立てなくて。」「今、業績も悪化してきているから早急に売上を立ててほしい。金融機関からも突かれている。ボクシング事業から撤退したらどうかと。」「ママ、これからの日本経済をどう見てる。」「そうね。バブルの清算が始まってきたから不景気になるのは間違いないわ。いつ回復するか見当もつかないような不景気ね。うちもお客さんが減っただけじゃなく、回数も減ってきているから。もし、景気のいいところがあるとしたら、大手の上場会社の役員の方が言ってたけど、インターネット関連じゃないかしら。若い人たちの間で起業ブームがあって元手が少なくて済むからということでインターネットの会社を立ち上げている人が多いそうよ。その中で何社が抜きんでた会社があるそうだから。そして上場して大金を手にしてやるとか言っているらしいのよ。今の若い人たちは凄いわね。どうやって売上が立つのか今一理解できないし、わざわざインターネットで調べなくても、テレビや新聞、雑誌で情報は入手できるし、買い物だってお店で買うのが一番安心できるでしょ。いつまで続くのか分からない怖さがあるわよね。大手だってみな赤字だそうだけれども。」「そうか。そんな状況なんだ。それじゃもうタクシーは斜陽産業なのかな。次に打つ手がないんだよ。売上を回復させるだけの起爆剤になりうるサービスが思いつかない。いたずらに規模を追求しても売上は伸びても利益が出ない。むしろ赤字になる可能性が高い。」赤木がはじめに言った。「ここは焦らず地道にやるしかないですよ。大手も買収を繰り返しているようですが儲かっているとは聞きませんよ。」

 だれと話しても打開策は生まれなかった。洋子は普段通り日常業務をてきぱきとこなした。営業所に出向いては職員、乗務員と積極的に会話した。整理整頓というパネルも作成して各営業所に貼った。周りからはよくどうして結婚しないのと聞かれることが多かった。決まって返す言葉が、「結婚には失敗しているのでもうこりごりです。」美人なのにもったいないというのが一致した意見だった。洋子の特集記事の騒ぎも一瞬だったのでプライベートに問題は起きなかった。時代の変化の方が急であった。

 2000年にはITバブル、金融機関の統合など負の清算と新しい産業の芽生えという新旧が交錯した年だった。フェニックスタクシーの売上高も4割も低下し60億円強にまで落ち込んでいた。金融機関からの要請も日ましに強くなってきたので、断り続けるのが困難な状況になっていた。赤池の仲介で、四大タクシーの一社が荻窪営業所を高く買収したいという情報を入手していた。このことを赤池といっしょに商工銀行新宿支店に報告に行くと是非とも進めて欲しいということになった。営業権も含めて20億円で売却された。そのうちの仲介手数料は3%だったので6000万円を赤池に支払った。銀行には15億円が返済された。残りは税金資金として残した。120台分のタクシーがなくなったのでフェニックスタクシーはタクシーが437台、ハイヤー2台の計439台の保有台数となった。稼働率は8割なので決していいとは言えなかった。一時は607台を誇り1000台へ向けて拡大という時もあった。15億円を返済してもまだ30億円が残っていた。

 この辺りからはじめはまた周囲に当たり散らすようになった。それに追い打ちをかけるように、米国ITバブル崩壊の余波が日本にもやってきた。2001年の出来事だ。渋谷や恵比寿にネットベンチャーが創業し一時賑やかであったが瞬時に閑散とした通りに様変わりした。更に、タクシー業界に至っては、時の総理大臣の意向で、タクシーの規制緩和をすすめる、道路運送法「改正」法案が2002年2月1日から施行された。これによりタクシーが大幅に増車され街に溢れ出した。客は掴まらない、低料金のところも出て価格競争になったりと儲からなくなってしまった。さすがのはじめも大きなストレスを抱えた。賃金体系も良かった頃の体系なので、このような事態を想定して作られていなかった。したがって、売上高に対して、乗務員に対して支払われる賃金が残業代、深夜手当を除いて63%になっていた。この他には法定福利費も発生するので業績を一層押し下げた。

 病気の後遺症、経済の後退、規制緩和による売上と利益の減少と、はじめの精神は極度の緊張感に包まれていた。赤木を連れ立っては、銀座のクラブ「deep sea」に行って酒を飲んではプレッシャーを紛らせた。酒では何も解決しないのに。

 2003年になると個人タクシーで廃業を考える人も出てきた。フェニックスタクシーも売上高が50億円割れまで悪化した。タクシーで生計が立てられないと感じた乗務員で、工場の作業員へ転職する人も出始めた。ここにきて乗務員の減少と新規の応募の減少のダブルパンチをくらった。以前のはじめであれば歯切れよく対応していたが、やはりまだ完全には回復していなかった。はじめにとって、相談できる人も信頼できる人もいなかった。

 洋子は、そんなはじめの様子を知って熱海にお墓参りに行くことを提案した。はじめも了解した。「ここに来ると嫌なことが全部忘れさせてくれる。笹岡さん、今当社には逆風しか吹いていない。社長として情けないがどうして切り抜けたらいいと思う。正直私には、どうしていいのか全く分からない。」「やみくもに賃金規定の改定をやってコストを削減しても、退職者が出れば逆効果になります。私にも分かりませんとしか言えません。今は耐え凌いで、時期を待つしかないのではないでしょうか。」はじめは、父親の墓前で思いっきり洋子を抱きしめキスをした。許されるものではなかったが、心がそうさせた。洋子はそのことを責めなかった。熱海日金山霊園は静かに二人を見守った。