小説「暗転」~帝王が愛した女~ 21

《第四章 蒼穹》

 

Grow Old With Me

 

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 はじめは筆談でよく洋子に語りかけた。とりとめもないことや好きな人はいないのかとか。洋子は、このまま会社人生を全うできればそれでいいと答えるだけだった。「啓子が困ったら笹岡さんに相談しなさいだって。社長の俺が部下の君に相談した方がいいって。最初の頃は君との関係を疑っていたけど今は一番頼りにしているようだ。直久はどうしようもないし、跡を任せられる器じゃない。一度変な流れが出来るとなかなか変えられないな。私にはやれることはもうない。かといって任せられる人も信用できる人もいない。今まで君のこと付き合わせてきたから、別な人生を生きたいならその方がいい。この会社に未来はない。退職金も払うからどうか考えてくれないか。」洋子はしばらく黙っていた。「社長が退任されるか会社がなくなる時まで、見守らせてください。これからどんなことが起きても全て受け入れるつもりです。これが私の人生です。」はじめは不自由な体であったが、しっかり洋子の手を握り締めた。はじめは自分の代で会社が消滅しても仕方がないと覚悟した。むしろその方がいいだろうと。はじめの計らいで洋子は税理士試験受験のために専門学校に通うことになった。また、赤木との関係についても彼と話し合った。「陰でお前がどうしているかは分かっている。辞めろとは言わない。適度に頼む。しばらくの間は俺の話相手になってほしいし、頼み事も出てくるかもしれない。そういう関係でいいね?」赤木は驚いた。「分かりました、社長。これからは、余計な経費はかけないようにします。それで許してください。」「私もこんな体だ。いつまでも長くはないだろうから。その時が来たら会社とはきっちり縁を断ってくれ。誰が跡を継いでも。」「ええ、分かりました。」相変わらず、銀座に赤木と出かけては酒を飲んだ。「赤木、だれか有能な弁護士を紹介してくれないか。」「いいですけれど。どうかなさったのですか。」「前にも言ったように、俺は長くはない。だからそろそろ準備が必要だと思っている。そのためだ。取り敢えず、deep seaで一度会って話そう。私が、筆談でしかやりとりできないことも事前に言っておいてくれ。」「分かりました。」はじめは、ただ今を楽しめればいいと思った。死が訪れるまでの時間潰しだと。洋子は専門学校のガイダンスに出て、どの科目を受験していけばいいかアドバイスを受けた。はじめは洋子に言った。「科目は、簿記論、財務諸表論、法人税、所得税、相続税を受けて欲しい。日中学校に出て授業に出席してかまわない。仕事はそのあとだ。」「分かりました。私で受かりますか。」「大丈夫だ。君なら頭もいいし、これからのこともあるから頼む、何が何でも受かってほしい。」そんな状況を知って、赤池は社長に真意を尋ねた。「社長、税理士の私がいるのに、笹岡さんに税理士試験を受けさせるのはどういうことでしょうか。」「彼女にはもっと頑張ってもらって、レベルを上げてもらい総合的に私を補佐して欲しいからだ。それだけのことだ。余計な詮索をせずにこの状況をどう打破したらいいのか教えてくれ。」「稼働率が低下していますから、ここは思い切って再度営業権の売却が得策かと思います。公租公課も既に2か月分滞納しています。督促がきていますから早急に解消しないとまずいです。」「何台分売却すればいい。」「詳細は後日説明に来ます。今日はこれで失礼します。」

 赤木が弁護士を紹介したいということで、銀座「deep sea」に集まった。菅野弁護士という50代の弁護士だった。「遺言書の作成を公正証書でお願いしたい。それとまた私が倒れた時に、息子の直久と税理士の赤池に経営を乗っ取られないような方策を考えて欲しい。あいつらは信用できない。」「ご子息を信用できないのでしょうか。」「ああ、自分の息子でもだ。既に後継者気どりでいる。彼に継がせると決まったわけではない。必要なものは、この赤木に言っていただければ何でも用意する。」

 2011年3月11日、東日本大震災が発生した。日本中がパニックになった。未だかつて経験したことのない事態であった。タクシー業界では燃料の補充の問題が起きていた。ガソリンスタンドでは行列ができた。港にタンカーが着岸できるかという問題も起きていたからだ。物流網が分断されコンビニやスーパーから物がなくなった。タクシーの需要は逆に増加したが、燃料の補充が十分ではなかった。回復までには1週間はかかるだろうと見込まれた。これまでのはじめの活躍から卸会社が融通してくれたので、他の中小のタクシー会社よりは燃料には困らなかった。フェニックスタクシーに関しては、震災の被害は皆無であった。はじめは洋子と話し合った。「人生何が起きるか分からないね。私もこんな体になるとは思っていなかったし。この震災によって日本も大きな転換点を迎えるね。当社は既に迎えているからどうっていうことないけど。」「本当ですね。午後3時少し前に凄い音とともに揺れましたから。原発の放射能の問題が今後どうなるかですね。」「原発の放射能事故で、福島県はかなりのダメージを受けることになる。もう元には戻れないだろう。ただでさえ人口減少に苦しんでいたところに、こんな事故が起きては避難するしかないし、福島県には戻らずに都会に転居するだろう。不測の事態によって未来が変わることはよくあることだからね。税理士試験の方はどう。」「日本がこんな状況の中で不謹慎ですが、勉強が楽しくて仕方ありません。なんとか3年以内に5科目合格して税理士資格を取得したいです。社長にもっといいアプローチができるようになりたいです。」「そう言ってもらえると嬉しいよ。もし、私に何かあったら啓子のことを頼んだよ。」「そんなことばかり言ってると本当にそうなりますから気を付けてください。」物流網が概ね正常化するのは4月に入ってからだ。

 赤池がタクシーの営業権ではなく不動産の売却を行い、営業権は各営業所に分割割当する方法を提案してきた。イランの投資家が日本の不動産を購入したがっているとのことだった。はじめは即答はせずに後日回答するとだけ言った。赤木と菅野弁護士を呼んで銀座で打ち合わせをした。「社長、こういうところではなく私の事務所で打ち合わせませんか。」「どうも堅苦しいところだと脳梗塞がおきると思って。」「そういう冗談はやめてください。」はじめは、赤池が持ってきた提案書を菅野弁護士と赤木に見せた。「社長、この提案書は危険な取引ではないですか。イランとの取引はハイリスク取引に該当します。」「ハイリスク取引とは何ですか。」「犯罪による収益の移転防止に関する法律があって、マネー・ローンダリング対策が不十分であると認められる特定国等に居住し、又は所在する顧客との取引に関して200万円を超える取引には取引時確認を行わなければなりません。こんな時期にまとまった土地を買う投資家は見つからないからイランの投資家を探したのでしょうね。」赤木も提案書を見て意見を述べた。「土地の売買代金も震災後の不景気だからと言って安すぎる。恐らく中間登記省略によって何回転かさせて抜こうという魂胆ですよ。俺も悪党だけれど赤池はもっと質が悪い。断った方がいいですよ。」「社長、私もそう思います。ここは急いで売るよりも時期を見て資産売却した方がいいです。それと、以前依頼された公正証書の原文を作成しましたのでご確認ください。」はじめは30分くらい黙々と内容を確認した。「フェニックスタクシーの株式の相続人は、妻の啓子とこの人を入れてください。比率は70%をこの人に、残りは啓子でお願いします。後は原文のままで結構です。」「かしこまりました。社長のご都合の良い時に公証役場で公正証書作成を行います。先生の都合に合わせます。公正証書ができたら先生が保管してください。万が一の時は先生が開示してください。お願いしましたよ。」「社長、赤池をこのまま雇っていて大丈夫ですか。なんなら私が排除します。」「別に気にしなくていい。面白いじゃないか。私からかすめ取ろうとしてあの手この手と使ってくる。フェニックスはもうだめだよ。」後日赤池には、提案はありがたいがのめないと返事した。資産売却は震災の影響が沈静化してからだと伝えた。

 8月には税理士試験を受けた洋子は結果を気にしていた。最初だったので5科目全部を受験するのではなく簿記論・財務諸表論の2科目を受験していた。はじめは、洋子に少しおしゃべりをしないかと誘った。洋子は専門学校での出来事やそこで出会った人の話をした。はじめは嬉しそうに黙って聞いていた。そして、合格発表日の日が12月にきた。洋子は2科目ともに合格していた。洋子ははじめに簿記論と財務諸表論に合格していることを報告した。するとはじめは合格祝いに寿司でも食べに行こうとなった。「啓子が君と話がしたいと言ってたしどうかな。」「是非お願いします。久しぶりに奥様ともお話がしたいから。」

 数日後、築地の寿司やで三人が集まりお祝いとなった。女性同士話がはずみ、はじめは話についていけなかった。「あなたは、いつも笹岡さんと話しているんだから今夜は私がいっぱい話すの。いいわね。どうせ話せないんだし。」「奥様、そんなこと言ってもいいんですか。」「いいのよ。夫婦ってそんなもの。事実を隠していいこと言ってたって上手く行かないのよ。実際に言葉が出ないのは本人も分かってるし、それに気を遣いすぎるとかえって傷つくものよ。」「夫婦間の信頼関係ですね。」「働きながらの学校通いは大変だったでしょう。」「久しぶりの受験勉強でしたし、社長のご配慮で仕事中も抜け出して受講していましたので楽しかったです。」「だれかいい友達とかできましたか。」「住友グループ出身の優秀な財務マンとも出会いました。」「詳しく聞かせて。あなたも聞きたいでしょ、社長さん。」三人が大笑いした。はじめは大きく頷いた。「住友グループで財務部でお仕事されて、そのあと中小企業に転職して10年勤務され役員にもなられたそうです。でも世代交代があって新しい社長から首にされたと言ってました。今は無職で税理士試験に合格して人生やり直したいみたい。とても熱心に不動産の話や鉱業の話を学校帰りにしてくれます。」啓子は茶化すように洋子に言った。「その人のこと好きなのね。」「もう私若くないし、バツイチだから好きじゃないと思います。」「そんなこと分からないわよ。あなた、うちの会社で雇ってあげたらどう。」はじめは頷いた。「その人が良ければ、合格するまでの間うちで働いてもらうのも悪くはないね。そんなに業績のいい会社でもないからそういう働き方もいいだろう。但し、笹岡さんの下になるけど。」「社長、私の下では失礼にあたりますよ。それに赤池さんが連れてきた課長はどうなさるのですか。」「経理課長は辞めてもらうつもりだ。それに専門学校で知り合った人も無収入よりは収入があった方がいいだろ。それに君にとっても励みになるからいいんじゃないのか。今度、履歴書と職務経歴書をもってくるように話しをしてみなさい。断られたらそれはそれで仕方がないことだから。」

 意外にも快諾し履歴書と職務経歴書持参ではじめと啓子の面接を受けた。名前は、小元徹といい誠実そうな人だった。独身でいてこれまでも結婚歴がないとのことだった。仕事一筋の人生に啓子は感心した。はじめは小元くんにこう言った。「内の細君が君に会ってみたいというから面接に立ち会わせた。はじめてのことだ。」「だって笹岡さんが褒めるくらいの方だからどんな方かと思って。それにあなたじゃ言葉が上手く出ないから、いろいろ聞きたいこととかあったら私がいた方がなにかと便利だと思ったのよ。」その場で内定となり条件面も伝えられ、翌日から出社し管理部課長となった。フェニックスタクシーにとっては彼の入社はプラスだったが、彼の人生にとっては不運のはじまりとなった。