小説「暗転」~帝王が愛した女~ 23

《第四章 蒼穹》

 

回 想

 

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アウシュビッツ収容所

 

 洋子の退職と同時にはじめは体調を崩し入院した。そして、父、悟の急死による社長就任から洋子との出会いや病気で倒れたことなどを病院のベッドの中で思い出していた。傍には妻、啓子が寄り添っていた。「あたし以外に恋したのは、彼女だけじゃないの?ずっと気付いていたわ。あなたじゃなくても恋したくなる子よね。いつのまにか自然に傍にいて、なんとなく前を向かなきゃいけないような、もう過去は振り返らないそんな気持ちにさせてくれる子だったから。」はじめの瞳から涙がこぼれていた。「私たちは、そんな彼女に重い十字架を背負わせてしまったのかもしれない。大丈夫よ。あなたはもう心配しなくていいの。あなたの妻としてできる限りのことはしてあげるつもりだから。」啓子は、洋子に感謝していた。はじめの心の支えになってくれていたこと、病気で倒れた時に親身になって心配してくれたこと、会社の将来を気にして必死で働いてくれたこと。そのくせ母親のことや結婚で失敗したことを引きずりながらも、明るく振舞っていたところがいじらしかった。

 はじめは、赤木を呼んで最後の仕事を頼んだ。「赤池との顧問契約を解除したい。解除通知を作成して直接渡して欲しい。それと赤池と釣るんで笹岡さんを追い出し会社を好きにしようとした息子直久も許せない。フェニックスタクシーから二人は完全に出て行ってもらう。これが私が最後におまえに指示する仕事だ。ここに300万円ある。これでおまえともお別れだ。いいな、頼んだぞ。」「分かりました社長。今まで色々ありがとうございました。最後の仕事しっかり引き受けさせていただきます。」

 本社売却の話も小元の自殺によって白紙になってしまった。しかし、ある日地元の不動産会社を通して買い付け申し込みが入った。はじめにとって全く知らない人だった。金融機関への返済もあることから承諾した。金額的には自殺者が出た物件であったが相場通りで売買が成立した。洋子との思い出の場所が静かに人手に渡った。

 洋子は、小元の遺体を引き取り火葬した。そして小元の実家の福島県南相馬市に遺骨をもって出かけた。事前に電話で連絡していたが、はじめてだし少し不安だった。

 東京では赤木からもらった顧問契約の解除通知に腹を立たせ、赤池がはじめの入院しているところまで文句をいいにきた。解除通知を手渡した後、何かしらか行動に出ると考えて赤木は病院で社長の傍に付き添った。「社長、何の説明もなく一方的に解除するなんてあんまりじゃないですか。今までの付き合いは何だったんですか。考え直してください。」「社長は顧問契約に則って契約を解除しただけだろ。3か月前に通知をすれば一方的に解除できるって書いてあるじゃないか。お前が作った顧問契約書に。いい加減にしろよな。これ以上言いがかりをつけるならただじゃすまねえぞ。」「社長、私がいなくなったら会社は倒産します。考え直してください。」「社長はお前と縁を切りたいと言ってるだろ。いい加減叩きのめすぞ。」大声で言い合ったせいか看護師さんが様子を見に来た。「大丈夫ですから、どうもご迷惑をお掛けしてすいません。」「個室の外にも聞こえてましたので。他の患者さんの迷惑にもなりますので静かにしゃべってください。」赤池はそそくさと帰っていった。はじめは久しぶり楽しんでいた。「相変わらず威勢がいいな。こっちもスカッとしたよ。ありがとう。」「社長、私はこれで失礼します。ありがとうございました。」はじめは啓子を呼び、タクシー新聞の記者を呼ぶように頼んだ。

 洋子は、小元が上京して東京の大学に入学するまで住んでいた実家の前に来た。なんだか切なくて懐かしい気持ちになっていた。遺骨を持ちながら玄関のベルを鳴らした。中から初老の女性が出てきた。「中へお入りなさい。はるばる遠くまで来てくださって本当にありがとう。思ってた通りの人ね。」お茶と漬物が出され、洋子は出会いから結婚の約束までの話をした。「徹さんの死は、急性心不全でした。とても残念なことですが。」「いいのよ。嘘つかなくても。徹から自殺する前に連絡があったから。弱い自分を許して欲しいと言ってた。私と別れたあの子の父親が、中学卒で世間から見下されていたことや父親からの暴力を受けながら育ったことから、あの子には本当に苦労ばかり掛けてきたの。そのせいか、いい大学出ていい会社に入って見返してやると言っていつも遅くまで勉強してたわ。旧財閥系の会社に決まったよと連絡もらったときは嬉しかったけど、そういう会社はいいとこの人たちが集まるだろうからやっていけるのかしらと心配してた。でも、途中からあの子とギクシャクするようになって、平成13年のお正月に帰省したのが最後になったわ。そのあとは、何の連絡もよこさなくなって急に連絡をよこしたと思ったら、結婚したい人がいるから今度連れていくと。母さんと同じ洋子という名前なんだって。途中で気が変わって破談になるといけないから入籍の1ヶ月前に連れていくから、優しく対応してくれって言ってた。」洋子から涙が止まらなかった。「私が悪いんです。私が仕事を紹介しなければこんなことにならなかったと思います。本当にすいません。」「あなたは何も悪くないのよ。あなたに出会ったことも自殺したことも全てが運命。私は誰も恨んでいないわ。ただあの子には、人生をありのままに受け入れて静かに生きて欲しかっただけ。いつも自分の人生を悲観的に捉え、それを変えなくてはといって生きてきた子。全ては私とあの子の責任なの。でも、あの子もあなたに会えて幸せだったと思う。」その後も二人は徹の昔話で時間がたつのも忘れた。洋子は突然切り出した。「徹さんの遺骨を私に頂けませんか?」急に切り出されたので母洋子も驚いた。「とても嬉しい申し出だけど、あの子のことは忘れなさい。そして、あなたは自分の幸せを見つけるの。いつまでも過去を引きずっていたらダメ。人生なんてあっという間なんだから。すぐ私のような年寄りになって何もできなくなるんだから。まだやり直せるわ。」しかし、洋子の瞳には決意と覚悟で満ち溢れていた。「色々考えてのことです。せめて同じお墓に入って、あの世で二人だけの結婚式を挙げたいと思ってます。その時が来るまで、精一杯生きていくためにどうしても必要なんです。もう決めたことです。」「いいわ。あの子のことはあなたに任せたわ。好きにしなさい。」「ありがとうございます。お母さん。」母洋子は気付いていた。もし、ここで断ったらこの子がどういう行動に出るのか。翌日、洋子は徹が通った小学校、中学校、高校、そして釣りに行っていた横川ダム、高野倉ダム、右田浜と見て回った。東日本大震災の爪痕が随所に残っていたが、海や山に囲まれた自然豊かなところだった。税理士試験のために通い始めた専門学校での出会いから始まって、学校での税法の解釈についての話とか将来どうしていくのとか、いつもどこか独りなのが気になって洋子から食事を誘ったりとか全てがもう繰り返されることのない思い出になってしまった。洋子は海を見ながら思っていた。もし、あそこでお母さんに断られたら、遺骨を持って徹の生まれたこの地で後を追っていただろうと。洋子は東京へと戻った。そして時は同じく、フェニックスタクシー社長の岩城はじめは病院で静かに息を引き取った。

 

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アウシュビッツ収容所